JALの直行便が就航して、ラスベガスが、より近い街へと変貌した。
こいつは面白いと思う。
特に「大人の街」「エンターティメントとショーの街」「ギャンブルの街」から「ショッピング・タウン」「アミューズメント・タウン」「コンベンション・タウン」へと大きくイメージチェンジを図ろうとしているこの瞬間。街が大好きな僕としては、やっぱり絶対に目が離せない。日々刻々と姿を変えていくラスベガスを見にいこう!これが今回の小旅行のテーマである。
勿論、前述の直行便を利用した。成田発は午後一番。
成田からラスベガスのマッカラン国際空港までは9時間の旅。現地到着は朝の7時だ。
ホテルはラスベガスらしい奇抜なデザインの「ルクソール」を選んだ。何と、このホテルはピラミッドの形をしてるンですよ。可笑いでしょ。隣の、中世のお城を模した「エクスカリバー」や、ニューヨークの町並みを書き割りにした「ニューヨーク・ニューヨーク」とか、まるでキッチュなガラクタ・オモチャのようなラスベガスのホテルの中でも、ダントツにユニークなホテルである。
ラスベガス観光→パック旅行→MGMホテルという図式じゃなくて、ちょいと自分らしい宿泊施設を選んでみるのも、海外の街歩きの醍醐味だと思う。そういう意味ではラスベガスには面白いホテルがたくさん有る。その中でも、見た目の奇抜さで僕は今回は「ルクソール」を選んだ。
マッカラン国際空港から各ホテルまではシャトル・バスが出ているが、面倒くさいのでタクシーに飛び乗った。飛行機が着陸した時、滑走路から朝靄の中に鬱蒼と建つ黒いピラミッドが見えたからだ。タクシーに乗っても、大した距離じゃない。
タクシーへ乗り込むと運転手へ「ホテル・ラクソー!」と言った。ルクソールと言っても通じません。英語ではラクソーと言う。それもラにアクセントを置いて。
「西館か東館か?」と聞き返された。知らない。どうやら二つあるらしい。
後で分かったんだけれど、ピラミッド型をしているのが東館で、その隣に「2001年宇宙の旅」に出てきた黒いモノリスみたいなビルが西館なんだそうだ。この時は「分からない」と言ったら東館へ連れていかれた。
東館はスフィンクスの腹あたりがクルマの発着場で、ここまでタクシーは16ドル。荷物をポーターに渡し、預かり証を受け取ってそのままホテルの中を散策してみた。どちらにしてもチェックインは午後からだから、どこかで時間をつぶさなきゃならない。早速、名高い巨大カジノの中を彷徨してみることにした。
それにしても凄いね。綿々とこれでもかぁ!と並ぶ、スロットルの台数と種類と量。流石に朝早かったから、それほどは混んでいなかったけど。それでも眼を血走らせて機械の前に座る西洋のオバはん・オジはんたちが少なからずアチャラコチャラにタムロしているではないか。
んんんん。マカオと質的な違い。スロットルの列の間を徘徊する人々の雰囲気から、何か微妙にそれを感じたのは、きっと僕の気のせいではないと思う。
●変貌する街・ラスベガス
ラスベガスのメインストリートであるラスベガス大通りは、通称「ザ・ストリップ」と呼ばれている。飛行機などで夜間に上空から見下ろすと、まるでキラキラ光る短冊(英語でストリップ)のように見えるのでこのあだ名が付いたそうだ。
ラスベガス大通り南側にデンと屹え立つストラトスフィアのタワー展望台から見下ろしたこの街の夜景は、確かにその名の通り逆九の字形に曲がった「短冊−ザ・ストリップ」のように見える。溢れるばかりの自動車のヘッドライトとテールランプの帯。点滅する無数のネオン。光の中に浮かび上がる巨大なホテルの壁面。猛烈な光量と情熱と執念が輝く街だ。
なるほど。もしかするとストラトスフィアのタワーから見る夜景が、この街で最もこの街らしい姿が見える観光ポイントなのかもしれないね。僕は展望台に立ちながらそう思った。
ラスベガスは「夜」が相応しい。これが今回の小旅行の総論である。
長さにして8キロメートルあまり。JALのキャンペーンのCFでも紹介されているフリーモント・ストリート・エクスペリエンスがあるダウンタウンから、ザ・ストリップを南下してホテル・ルクソールアあたりまで。これがこの街のメインディッシュだ。そしてこの街で見るべきモノの90%は此処に集約している。そして、これらのもの全てが輝きだすのは陽が沈みはじめて夜の帳に街が包まれてから、である。
そんな夜のザ・ストリップを、車で何回か往復しているとき。
「見事に全てが人造なんだねぇ。」僕がそう思わずため息をもらすと、案内役をかって出てくれた薬師寺氏が笑いながら言った。
「1911年のラスベガスの総人口数は800人だったそうです。19世紀の半ば、モルモン教徒たちが新天地を目指して此処へやって来たときは本当に何もない荒れ地だったんですよ。それがたった90年間でこれだけの大都市に進化したんです。」
薬師寺直彦氏は「ラスベガス大全http://www.lvtaizen.com/ 」というホームページの主催者であり、地元では「ミスター・ベガス」と呼ばれているほどこの街に詳しい。歩くラスベガス辞典みたいな人だ。この取材の情報源の大半は、彼に負っている。
今回は、多忙な折りにわざわざ自分の車まで出してくれて、朝から夜中まで僕の好奇心に付き合っていただいた。
「すべてがギャンブルを中心に?」
「はい。1931年にネバタ州がギャンブルを合法化しましたからね。それに近隣のフーバー・ダム建設があいまって、ラスベガスは世界でも珍しい全く新しいタイプの街として爆発的に成長を遂げてきたんです。」
「確かに、これだけ遊びだけを目的に作り上げられた街というのも珍しいよな。」と言いつつ、僕はマイアミ半島に突然建立されたオーランドを思い出してしまった。あそこもディズニーワールドとユニバーサル・スタジオ、ケネディ宇宙センターを中心に作り上げられた完全な人工都市だ。存外、ああした巨大テーマパーク的都市というものの先例が20世紀初頭、このワイルドウエストに建設されたラスベガスという街だったのかもしれない。
「でも少しずつ変わりはじめている。それを実感しませんか?例えば毎年秋に開かれるコンピュータのトレード・ショー、コムデックス。ああいう大きなコンベンションが、この街では沢山開かれるようになってきたんです。ラスベガスが本来から持っている膨大な量の宿泊設備、そして広大な敷地がこうしたビジネスの祭典にぴったりなんですよ。現在では大規模トレード・ショー開催地として、全米でも有数の街になっているんです。」と運転をしながら薬師寺氏が続けた。
「そうかあ。ラスベガスにとって、いかに集客するかが基本命題なんだね。人が集まり、人が動くことが産業なんだ」
そう考えてみると、何となく全体像が掴めるような気がしてきた。
農業振興の難しさと鉱業の凋落が、苦肉の策としてネバダ州に「ギャンブルの合法化」をもたらした。今となると、それがラスベガスという新しい「街のあり方の可能性」を模索する実験の場を生み出したわけである。その基本誘客要因がギャンブルだった。
ラスベガスは今、その基本誘客要因を多角化しようとしている。それがマッカラン国際空港の周辺に幾つもの自由貿易ゾーンを設けたり、積極的な企業誘致を試みたりしている大きな理由だろう。