五月の連休を利用して子供たちだけでNYへ来ることになった。 「大丈夫か?飛行機に乗れるのか?二人だけで。英語で入国審査を受けるんだぞ。」 「大丈夫だもん。成田まではママに送ってもらうし、飛行機はいつも乗ってるANAだから。それにJFKにはパパが迎えにきてくれるでしょ?」 お姉ちゃんと国際電話で話し合った。 「荷物の受け取りは?どうする?」 「飛行機の中に持ち込めるものだけにするから、全然平気だもん。」 実際のところ子供たちだけの海外旅行の場合、航空会社の対応は機微に到って親切で、イミュギレーションについてもバケッジのピックアップについても全く心配はない。とは言ってもそんな種明かしをしちまってノハーツと飛行場で迷子にでもなられたら大変なんで、脅かすだけ脅かしておいた。 「夏休みになってからママと来るほうが良いんじゃないのか?二人だけじゃ何かと不安だろうが?」 「もちろん夏休みにも行くけど。どうしても五月の連休に行きたいの。春休みはパパがお仕事でNYにいなくなっちゃって行けなかったでしょ。だから五月に!って楽しみにしてたんだから。」 「仕方ないだろ。今度はママにご用事が出来ちゃったんだから。」 「うん。だから二人だけで行こうって、あやのと決めたの。」 「あやのと、ねぇ。よし、分かった。来い。JFKには迎えに行く。到着ロビーは分かるな、何度も利用してるんだから。あそこで待ってるから。」 「うん。わかる!」 というわけで、子供たちだけの冒険旅行となった。本当のところ、学童だけの渡航の場合は航空会社が完全フォローをしてくれるので冒険でもなんでもないんだけれど。彼女たちにとっては、やっぱりとんでもない冒険に違いない。巨大な成田空港で飛行機までたどり着いて、12時間のフライトを二人だけで過ごし、入国審査を受ける。こいつは凄い体験だ。 もちろん嫁さんは大反対だったが、僕が説得した。事前に、いつもお世話になっている日新航空サービスさんにも何回か通って相談したようだ。 「いい思い出になるさ。」僕が言うと。 「あなた、その一言でスペインの山奥だって私を呼びつけるものね。でも、今回は子供たちだけよ。心配で仕方ないわ。」と電話の向こうの嫁さん。 「日新航空サービスのNさんも大丈夫だって言ってたろ。」 「成田で、どこへ行けば子供たちをエスコートしてくれるか、よく聞いてきたわ。もしどうしても不安でしたら、当日成田までご一緒しましょうか?とまでおっしゃってくれたわよ。あなたじゃ、してくれない気配りを本当に細やかに一杯してくださったわ。」 「有り難いじゃないか。」 「Nさんにはいつも本当にお世話になりっぱなしだわ。Nさんの気配りの細やかさを見てると、いかにあなたがガサツでイイカゲンか、よぉく分かるわ。」 「おいおい、国際電話でつまらん文句を言うなよ。文句言うのに電話代を払うこたぁない。」 「とにかく成田までは、ちゃんと送りますから。そちらをくれぐれもよろしくね。当日、寝坊したなんて話は無しよ。」 「ほいほい。」 かくして。娘二人だけの訪NYとなった。 実施日は4月21日。帰国は5月5日。2週間の旅行である。 当日、僕は少し早めにアパートを出て、JFKにいた。安全といっても、全く考えられない不測のアクシデントというのもありうるからだ。パリ行きに乗っちまったとか。ANAとJALと実はチケットを間違えてたとか。 ANAの成田−JFKの直行便は、JFK到着が9時X0分。大体すべてのゲートをクリアして、到着ロビーに出てくるまで30分ないし45分くらい。10時半くらいには自動ドアの向こうから出てくる計算だ。 僕は自動ドアのすぐ傍で彼女たちが出てくるのを待った。 その自動ドアが開いて一番最初に出てきたのが、当家の娘二人だった。スチュアーデスさんに付き添われてである。 「パパー!」子供たちは、僕を見つけると駆けてきた。 「ほら!二人だけでこられたよぉ。」 「スチュアーデスさんにお礼言って。」と僕が言うと、二人揃ってペコリと頭を下げていた。 「成田からずうっと、色々助けてくれたんだよぉ。スチュアーデスさんって、すごいねぇ。」とお姉ちゃんが感激しながら言った。 「あやちゃん、大きくなったらスチュアーデスさんになるっ!」と妹。 「そうか。そんじゃ沢山、英語勉強しなくちゃな。」 ANAのスチュアーデスさんは、ニコニコ笑って手を降りながら自動ドアの向こうへ戻った。 「荷物は?」 「二人とも、このディバックだけ。NYで要るものは全部NYでパパに買ってもらいなさいって、ママが言ってたよ。」と姉ちゃん。 「お気楽な海外旅行ときたもんだ、ってか。」 そのままタクシー乗り場でイエローキャブを拾った。うちのアパートは41丁目の東の外れにある。車上30分強くらいである。まあ、その間にしゃべることしゃべること。 ANAのチケットカウンターで、二人だけの旅行だという話をママがしたところから始まって、出国審査のこと。成田でトイレに行きたくなったこと。機内で隣の席の小母さんと仲良くなったこと。姉ちゃんが何度も、飲み物のお代わりをしたこと。 「それにね。途中で運転席を見せてくれたんだよ。チョー感激しちゃった。」と姉ちゃん。 「運転手さん、すごい優しかったし。」と妹。 どうやらコックピットを見せてもらったらしい。 「ははは。飛行機はあんまり運転手と言わないんだ。パイロットって言うんだよ。」 「うん。そのパイロットの運転手さん、おー!よくきたな!ってパパみたいな喋り方だった。」と妹。 「機内は穏しくしてたか?つっつき合いの喧嘩なんかしなかったか?」 「うん。しない。あやは寝てばっかりいた。」と姉ちゃん。 「飛行機もいちばん最初に下ろしてくれたし、全然心配じゃなかった。そうそう、すごい面白かったの。NYに入るときに判子押してくれる検査する黒人の小母さんがいるでしょ?あの小母さんにお姉ちゃんがhi! って言ったら、にこにこ笑いながら色々話しかけられちゃって、お姉ちゃん、すごい困ってた。すごい楽しかった。」と妹。 「飛行機降りてから、ずっとスチュアーデスさん、一緒いてくれたのか?」 「うん。」 「あとでお礼の手紙書かなくちゃな。」 「うん!書く。でも名前、聞かなかったよ。」と姉ちゃん。 「大丈夫だよ、乗った飛行機の便が分かっているんだから、手紙を出せば必ず航空会社のほうで何とかしてくれて、本人のところへ届くさ。」 「本当?それじゃ書く!」二人は合唱して言った。 うちのアパートはミッドタウン・トンネルを出たすぐ近くにある。アパートの前に着くと、ちょうど子供たちと仲のよい黒人青年のドアマンが居た。彼はタクシーから子供たちが降りるのを見つけると大喜びをした。 「Hi!How are you,sareya,areya,Welcome to NewYork」 「Hi!Jhon,nice to meet you,are you enjoying? 」とお姉ちゃんが言うと、ドアマンが腹を抱えて笑った。are you enjoying? は、彼の口癖なのだ。子供たちがそれを憶えていたのが、よほど嬉しかったようだ。 彼が開けてくれるドアを大騒ぎしながらアパートの中に入ると、エレベータの傍にある売店の中から、インド人の従業員まで出てきた。そして今度はエレベータに乗るまで、そのインド人とまた一騒ぎ。部屋に入ってようやく落ちついた。 「みんな、私たちのこと、憶えてくれたわね!」と姉ちゃんが言った。 「当たりめぇだ。お前たちみたいに騒がしいジャリは、アメリカにだってそうはいない。」 「あの売店の人、よく分からなかった。」と妹。 「だって、毎朝ベーグルとオレンジジュースを二人で買いにいってたんだもん。憶えてない?何度もキャンディとかチョコとか色々貰ったじゃない。」 「貰ったのは憶えてるけど、あの人だったかは憶えてない。」と、いかにもあやのらしい返事だった。 「あやのは食いしん坊なだけなんだから!」と言いながら姉ちゃんが窓を大きく開け放った。うちの部屋はイーストリバー向きなので、目の前にデーン!と対岸のクイーンズが広がる。左横に聳えるのが国連ビルだ。川向こうにペプシ・コーラの看板が見える。 「ほら!あや。いつも二人で話してたペプシ・コーラの看板が、ちゃんと見えるよ。」 「うん。あれ、また見たいねぇってたんだよね。」と妹。 「よかったな。また見れて。アパートで働いている人達も、みんなお前たちのこと憶えていたし。」 「うん。みんな本当に明るくて、優しくて、NYって大好き!」と姉ちゃんが言った。