Picture
Picture
Mike Shiraishi 

 

 

NYの若者気質、東京の若者気質
 言われてみると、なるほどなと思うんだけど。NYには、いわゆる「ぴあ」のような雑誌がないのだ。これって凄くNY的な現象なんだね。確かに地元情報誌として「ニューヨーク・マガジン」とか「ニューヨーカー」という雑誌は発刊されているが、この2冊だって決して「ぴあ」的情報総覧雑誌ではない。どちらかというと読み物が中心で、その時代のNYを如何に表現するかということに視点を置いている。
 雑誌というより新聞的な形態を採っている「ヴィレッジ・ボイス」も、あれほどの情報を記載していながらも、決して前述「アメリカ式・物量信仰」に則った、情報を膨大な量で総覧的に並べるという手法は採っていないのだ。ゴーストバスターズの消防署。中を覗くと、あのときの看板が壁面に飾ってある
 東京に「ぴあ」が有って、NYに「ぴあ」が無いということ。これはこの二つの街の気質の違いを明確に表しているように思う。
 つい最近、NYでデザイン事務所を開いている在住10年という日本人女性とアッパー・ウエストサイドにある「フジヤマ・ママ」で一緒に飲む機会が有って、彼女との四方山話がチャイナタウンにおけるベトナム人勢力の台頭という話題になった時に、僕がイースト・ヴィレッジにある「インドシン」(430 laFayette St.,212-505-5111)というベトナム料理のレストランを絶賛したら、彼女は見事に顔をしかめながらベロを出して、ゲーッと
いう顔をしてから「あんな店は、もう駄目。いま一番良いベトナム料理のレストランは57丁目のル・コロニアル(149 E.57thSt.,212-752-0808)よ。」と言った。
 これって、実は最もスタンダードな、トレンド指向の強いタイプのニューヨーカーたちの反応なのだ。どんなに良い店でも、有名になって人が集まり始まると、もうそれでペケ。次の店を探し始める。そのサイクルが短ければ短いほど恰好良い、という訳である。
 確かにニューヨークに生活する彼らが、全米における「流行」のリーダー的な存在になっていることは紛れもない事実である。メーカーもその事を把握していて、基本的にNYでは商売にならなくても、さまざまな仕掛けをこの街に暮らす彼ら彼女らに投げてかけくる。短期間のうちに全米サイズの大ブームになっていったモノは、たいていNYにおける「トレンド指向の強いタイプのニューヨークの若者たち」に「こいつは恰好良い」と認め
られたモノばかりなのである。そしてブームになった時には、彼らの視線はすでに次のモノへ移っているというわけだ。
 溢れかえる情報の中で、さまざまなチョイスと組み合わせを繰り返して自分のライフスタイルを決定していく。これは都会人の典型的な手法で、東京っ子でもパリジャンでも同様なんだが、ニューヨーカーの場合はもっと特化していて極めてカルトな傾向にあるように思えてならない。
 つまり、その人を形成している幾つかの嗜好について個々に分離してみると、ひとつひとつが極めて狭い範囲での嗜好なために、同好の人との繋がりが却って明確で、彼らの間での情報は短時間のうちに流通して行くのだ。したがって雑誌媒体のようなタイムラグの発生するメディアは必要ない。これがNYにヴィレッジ・ボイス以上の総合情報媒体が生まれてこない理由だと僕は考える。
 東京の若者/トレンド・リーダーたちは、こうしたNY的「分化」より、むしろ日本的「一様化」へ進む傾向があるように感じるのは僕だけだろうか。先年、女子高校生の間を席巻した茶髪ロン毛・ルーズソックス・ファッションを見ても分かるように、それこそ10メートル離れたらハナコちゃんもヨシコちゃんも皆な同じ、区別が付かない、というファッション・トレンドというのは、考えてみるとソラ恐ろしい現象ではないだろうか?「個性の均質化・個性の無個性化」という方向。これが日本的なファッションの特徴のようである。制服を自分たちの気に入った恰好の良いものにアレンジをして、それをまた全員で制服のように着る。こうした感覚。これはきわめて日本的であり、ニューヨークの若者たちには理解できないファッション感覚である。
 より特化するNY的個性と、より均質化する東京(日本)的個性の対極は、そのままこのふたつの都市の特性を見事に表しているように思う。決して若者たちだけの気質の差ではない。
 ついこの間も酔っぱらってタクシーに乗って、飲み直しに友達の事務所へ行こうってぇんで「角筈、行ってください」って言ったら「どこですか?そこ。」と言われちまった。
「そうだそうだ、西新宿になっちまったんだ・・えぇと、何丁目だっけ?」そんなもン、判りゃあしない。
 青山も、ついに東西南北、出揃って訳の分からない街になってしまった。あれも「青山」という地名にすると土地の価格が格段に上がるという現象のおかげで、地元住民が中心になって強力に町名変更を推進したんだという話を聞いている。こんな現象は、NYでは絶対に起きえないもンですぜ。何でもかんでも均質化させてしまう東京(日本)的個性。こいつには、まったく戸惑うばかりだ。
 ところで。最近ニューヨーカーの間でも確実に広がりつつあるインターネットのブームは、こうしたNY的特化現象の具現化のように思えてならない。インターネットが持つ、同時性・双方向性が非常にニューヨーカーの持つ気質に極めてマッチしている。もしかすると、この部分でもニューヨーカーたちは新しいトレンドのリーダーになっていくかもしれない。そんな予感がするのだ。
 インターネットの凄さって、対個人対個人の繋がりが超過多重的に重なっていくところにある。原則は間違いなく一人対一人なんだけど、それが幾何級数的に重なり合っていく。そして、あっと言う間にそれが世界サイズに広がってしまう。しかし、それであってもベースはあくまでも個人。実像としての個人が見えなくなることは無い。インターネットが、TVやラジオといった上から下へのタレ流し的なメディアと決定的に違うのはココだ。これって考えてみると、非常にニューヨーカー的な気質のメディアなんだね。
 新しいNY的なトレンドの胎動を、ぜひとも画面の上で体験してみよう!
§1995-2006 by Mike Shiraishi. All rights reserved.No part of this page may be reproduced byany means without written permission from the publisher. E-mail address all inquiries to: mike@mikebear.com