東京を描き続けた作家、永井荷風は青春時代にニューヨークで銀行マンをやっていた。今から9 0年ほど昔の話である。
彼は、怒濤の1920年代を迎える以前の旧き良きニューヨークでウォール街に有った横浜正金銀行へ通っていた。すごいねぇ、ほとんど一世紀近い昔のマンハッタンを荷風は毎日歩い
ていたんだ。
この荷風という男。実に偉い奴で、銀行での執務にブツブツ文句を言いながらも、街を ふらふら歩き回ったり、オペラを観て歩いたり、酒飲んでオド上げたりして、あの時代の
ニューヨークをきっちりと謳歌していたのだ。官費で遊学した鴎外や漱石が、火の玉のように勉強 し、日本へ西洋の文化を持ちかえろうと切磋琢磨した時代がほんのちょっと前にあったば
かりの時代にだ。荷風は心底ニューヨークで遊び歩いた。そしてブロードウェイでエンリコ・カル ーソーを聞き、ワグナーのオペラを観、ドビッシーに心うたれていたんだよ。これって、
やっぱり凄いことだと思う。
彼は、この時期に二つの名品を残している。「西遊日誌抄」と「あめりか物語」である 。この「西遊日誌抄」の中に、しばしばセントラルパークの話が出てくる。荷風は殊の外
セントラルパークが好きだったようで、夕闇迫る公園のベンチで読書した話などを生き生 きと描いている。「あめりか物語」の中にも、秋のセントラル・パークを描いた名文が残
されている。この2品は築摩書房刊行の文庫版日本文学全集「永井荷風」に併載されてい るから、ぜひとも貴女がニューヨークへ行くときにはバックの中へ、この明治の粋人の書いた名文
を忍ばせて出かけてみて欲しい。荷風と同じようにベンチへ腰掛けながら、遠い昔のニューヨーク を描いた名文に触れると、貴方のニューヨーク体験は更に豊醇な小旅行になると僕は確信する。そ
してきっと時の霞の向こうから、もうひとつの美しいセントラルパークが、貴女にも見え てくるに違いないと思う。
僕は30代の始めに荷風の見たニューヨークに魅せられて、うろうろと街を彷徨してみたことが あった。資料として前述の「西遊日誌抄」と「あめりか物語」の2冊だけを頼りに街を歩
き回ってみた。残念ながら経年変化に強いニューヨークにとっても、流石にこの90年の壁は厚い 。それと荷風自身も日誌に地誌的な資料を残そうという意図が全く無かったもんだから、
彼の書いたものからは正確な位置関係がよく分からなかった。彼が何処の飲み屋に出入り したのか、何処で私娼に出会ったのか、具体的な場所は殆ど知ることはできなかった。し
かし実に楽しかった。あの時の体験のおかげで、僕はますますニューヨークが好きになり、荷風と いう男が好きになった。
荷風は横浜正金銀行への勤務が決まると、先ず日本領事館に勤務する従兄弟のアパート へ同居をさせてもらった。1905年12月3日のことである。従兄弟のアパートは、当
時高級住宅街だった西115丁目にあった。
翌年の1月7日に荷風は西89丁目へ越している。彼のニューヨークでの本拠地はこの時からア ッパー・ウエストサイドになる。日記や小説の中で描かれているセントラル・パークは、
このアッパー・ウエストサイド時代に書かれたものだ。8月になると前述の従兄弟がセン トラル・パーク・ウエストへ引っ越しをしてくる。荷風は再度彼の処へ同居させてもらっ
ている。この新しいアパートは目の前にセントラル・パークの緑が見渡せる素晴らしい環 境だったようで、荷風の心の琴線を大いに震わせたようだった。
翌年6月からフランスへ発つ7月までのひと月だけスタッテン島のオークウッドに移 り住んだことがあるが、荷風はアッパー・ウエストサイドでニューヨークの日々を過ごした人で有
り続けた。もちろん僕の知っているアッパー・ウエストサイドと彼の時代のそれとは天地 ほどの差がある。そんなこと判っていてもアッパーウエストサイドに魅せられた者同士と
して、猛烈に共感をもってしまうのは僕の勝手です。
当時、横浜正金銀行はロアー・マンハッタン、ウォール街にあった。荷風は89丁目か ら毎日、ロアー・マンハッタンまで通勤をしていた訳である。残念ながらこの地区を走る
地下鉄IND(Independent Subway)は開通が1932年だから荷風は通勤にこれを利用 することが出来なかった。日々の通勤で、彼が何を見て何を思いめぐらしたか。非常に興
味あるところだ。もっとも、すぐ近くを走るIRTは1904年に開通しているので、も しかするとこれには乗ったかもしれない。しかし荷風はその手のことには全く興味を示し
てくれない人なので、何も資料は残っていない。もっとも戦前に麻布の偏奇館から玉の井 へ日勤していた荷風はいつも開通したての地下鉄(今の銀座線)を利用していたようだか
ら、意外にも抵抗無くこの新しい交通手段を利用していたのかもしれないと僕は思ってい る。何か書き残して欲しかったなぁ。
彼は銀行勤務の憂さを晴らすようにチャイナタウンの淫売窟を彷徨い、チェルシーに暮 らすフランス人移民者の許へフランス語の勉強に出かけ、コンサートやオペラを貪るよう
に観て歩いた。そんな荷風の青春時代の作品をセントラル・パークで読むとき、きっと貴 女は今世紀初頭のニューヨークが遠い時間の霞の向こうに見えるような、そんな幻惑的な気分にな
ると僕は思う。