ジャカルタで2週間、暮らした。
僚友・Kが材木の買い付けへ行くという話で、その渡航に相乗りしたジャカルタ散歩だった。突然「おーし。ジャカルタにでも行くかあ」という旅だったから、なんの用意も先入観も無しで出かけた。だからこそ、むしろかえって面白かったのかもしれない。
バジャイ(三輪オート)に乗って、ビサン・ゴレン(焼きバナナ)を食べて、屋台のレストランでお好み焼き風のマルタ・バック・アシンを堪能しながら。露店の民族服を着た婆さんが売るジャンブーメラやマンガ、パパイア、ドゥクの写真を撮り歩いてきた。
ジャカルタは始めて行く街だった。
僕は原則として始めての街へ出かけるときは、何も先入観なしで出発することにしている。これって意外に街に触れる有効な方法で、行き当たりばったりにウロウロと歩き回って受けた印象が、案外その街の本性を突いていたりする。自分の目で見たものだけが、その街そのものなんだよ。巨大な象を撫ぜる盲人は、確かに象の事を紐のように思ったり、平べったい団扇のように思ったり、壁のように思ったりするかもしれないけれ、それはそれでその街の実態を、間違いなく確実に表しているもんだ。僕はそっちのほうを信じた
い。
今回も、カメラ担いでフラリと出かけたジャカルタは、そんな行き当たりばったりの運まかせ、出たとこ勝負の街歩きだった。もちろんKは仕事のための出張なんで、そんな僕の道楽に付き合っちゃくれない。ホテルにチェックインすると、しっかり電話をかけまくり、現地のコーディネータと打合せに忙しい。
滞在5日目。
「ボゴールからですね、少しジャカルタ東南部の木材工場を歩いてみたいと思うんです。マイクさんはどうしますか?」と朝食のときに聞いてくるKに「ボゴールって市場あるか?」と聞いて、コーディネータに呆れられてしまった。
「市場の無い町なんか有りませんよ。」とコーディネータの弁。そりゃそうだ。
うーん。でも、まだジャカルタの街を歩き周っていないし。
「オレ独りで、すこしコタの辺りを歩いてみるよ。」と僕が言うと、コーディネータが一瞬安心したような表情をした。実はジャカルタに到着して最初の数日間はおとなしくKの工場視察に付き合ったんだけど、行く先々で勝手に鶏追いかけ回したり路上の出店に入っちまったりする僕に、どうやら彼は思い切り閉口していたらしい。
「バジャイに乗ってみたいんだ。」
「へんなとこ、行かないでくださいよ。」とK。
「コタの駅の周りを歩いてみたいだけだよ。」
コタはジャカルタの旧市街である。チャイナタウンだった街だ。実はスカルノ時代、インドネシア共産党が中国共産党の支援によってクーデター未遂事件を起こしたことがある。1965年9月30日のことである。その事件がきっかけで、この街からは漢字文化が一掃されてしまった。以来、コタは華僑色を失った華僑の街になのだよ。漢字と中国語の無いチャイナタウンを歩いてみたい。僕はそう思っていた。
「夕方には戻りますから、晩飯は一緒に食べましょう。」とK。
「ああ。日暮れまではホテルに戻っているよ。」
こまごまと心配するKと、さっさと出かけたがるコーディネータを、ホテルの玄関で見送った後、僕は一度自分の部屋に戻ってカメラを担いでから街へ出た。
日射しが刺すように鋭い。むせかえる暑さだ。ジャカルタの常夏というやつ。
これほど巨大な都市だというのにジャカルタは、どこか遠いところでジャワ島の広大に広がるジャングルの蒸せかえる草いきれが木霊しているような街だ。スカルノ・ハッタ空港に降りた時から、僕にはその遠い共鳴が聞こえてならなかった。なぜだろうね。マニラ市にだってシンガポール市にだって、そんな幻聴は聞こえてこない。群青色のジャカルタ湾に散らばる小さい島々の美しさに、息を呑みながら降り立った街だからなんだろうか。
どちらにしても。はははは。ようやく独りっきりでお前と話が出来る。
ホテルはブロックMにあった。
この辺りは、東京で言えば新宿みたいな街で新興商業地である。ホテルの目の前がパサラヤという大型デパートだ。隣が西武デパートだったそうだが、今はパサラヤAとパサラヤBになっている。その隣は少し小高くなった中長距離用のバスターミナル。前の日に朝早くから昼近くまで、カメラを担いでこの周辺をウロウロと歩き回ったんで少しだけ土地勘が付いている。
バスターミナルの周辺に沢山のバジャイが客待ちをしている。タン!タン!タン!タン!というツーストローク特有の音と匂いが、この三輪オートの特徴だ。オレンジ色に塗られた車体に、黒い幌がかかっている。小降りで昔のダイハツの三輪オートのような恰好をしていて、なかなか旅情を誘う乗り物だ。値段は交渉次第と聞いていた。とりあえず見回して、一番温厚そうなおっさんに声をかけてみた。
「ク・コタ・トラムステーション・ブラパ?Ke Kota Tram Station Berapa?コタ駅まで幾ら?」と下調べしておいたインドネシア語をしゃべると。
「******!」あれあれ、早口で何言ってるんだか分からない。思わず「ハウマッチ?」と言っちまったら「シクスーサウザント・ルピア!」と英語が返ってきた。 ジャカルタは意外に英語の通じる街だ。おや!と思うところで、市井のおっさんが巻き舌の英語で返事を返してきたりする。これは今回の旅の大きな発見である。
ともかく車上の人。街を走りはじめた。
ところがこのバジャイという乗り物。狭い、暑苦しい、けむい、の三拍子。市内を軽やかに疾走する姿は涼しげだけど、いざ乗ってみるとハタで見るほど楽じゃない。急いで銀座のイエナ書店で買ってきたジャカルタの地図を広げてみた。
ブロックMはジャカルタの南側、コタはジャカルタ湾の近く、北側である。相当離れているなあ。後で現地コーディネータの人から教えてもらったんだけれど、市内にはバジャイが走っちゃいけない大通りが多々あるそうで、ブロックMからコタというのは、バジャイで行くような距離ではないそうだ。「よく行ってくれましたねぇ。」と言われてしまった。まあ乗っちまったんだから仕方ない。
ジャカルタ市内に、地下鉄や近距離電車が無いのは知っていた。
市民の足はバス中心で、これにバジャイやタクシーが続く。一昔前はペチャという人力三輪車が走っていて、なかなかの名物だったらしいけど、今は殆ど見かけない。非人道的であるとかいう話になって、市内から締め出されてしまったんだそうだ。締め出しちまう方が非人道的だと思うんだけれど。
車と車の間をまるでオートバイのようにすり抜けるバジャイに乗っていると、ははぁ、ペチャってぇやつもきっとこんな風に街を走っていたんだろうなぁと思えてきた。最近マンハッタンでもイーストヴィレッジ辺りで、観光客相手のピンクに塗られた瀟洒な人力三輪車を見かけるようになったけれど、ペチャはきっとあんな風にのんびりと走ったりはせずに、このバジャイみたいにちょこまかと力の限り疾走してたんじゃないだろうか。もち
ろんこれは僕の妄想だから気にしないで。バジャイの振動が脳味噌を直撃して、眼鏡が揺れて思考があれやこれやカクテルされた結果、生まれてきた勝手な想像です。
ところが。細い道を縫うように疾ってコタへ近づくと、何と!件のペチャを何台か続けざまに見かけたのだよ。狭い露地の横に、時折ぽつんと停車しているではないか。うーん。しかし残念ながら客を乗せて走っているところは見かけなかった。見たいなぁ。疾走するペチャを確認したいなぁ。
そんなことを思っているうちに、コタ駅に到着した。
「*****!」おやじが何か言った。着いたぞ!とでも言ったにちがいない。
僕はバジャイを降りて大きな伸びをした。幌の陰から出て直射日光を浴びると、やっぱり強烈に暑い。目の前に白いコタ駅が有った。
「トリマ・カシTerima Kasih有り難う」
約束の金額を渡すと、バジャイは白い煙を残して脱兎のように去った。そのあまりの脱兎ぶりに、あれ?間違えて6万ルピアやっちまったのかなぁ、と思ったくらいの勢いだった。まあいいや。
コタ駅はジャカルタ国営鉄道の起点でもある。白亜の背の高い建物だ。
駅はどの国でも郷愁と異国への想いの交差点である。そのまま駅の中へ入ってみた。高い天井に、整然と並ぶ3本のホーム。列車は一台も停車いなかった。まったく涼風が流れるかと思うほど喧騒からかけ離れた駅だ。時間帯のせいかな?
ジャカルタは鉄道網が発達していない。この国の人々にとって長距離移動の手段はバスである。人々は、夢と挫折を背負ってバス発着場へ集まる。そのせいだろうか?コタ駅は不思議な現実からの遊離感に満ちた空間だ。人が集う「場」としての、ある種猥雑さが欠如しているような印象を得た。