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Mike Shiraishi 

 

 

ドックランの恋

犬を飼うニューヨーカーは多い。うちのアパートでも、よくエレベータの中で犬を連れた住人に会う。それが巨大なセントバーナードだったり、アフガン・ハウンドだったり、クラシックなブルドックだったりする。
エレベータで出会う彼ら彼女は、実に躾けが良く行き届いていて見事なものだ。静かに主人の横へ座り、乗り合わせた他の人によけいな関心を示さない。うちの娘どもが「あ、わんちゃんだ!」と喜んでも、ほとんど超然としている。このへんにアメリカという国の文化の深さみたいなものを感じてしまうのは、きっと僕だけじゃないと思う。公園で散歩の途中に吠えついてくる犬や、キャンキャンと騒ぐ隣室の犬なんてぇものはNYじゃ全く考えられない。ペットの躾けはきわめて厳格に行われているのだ。だからこそ日本のように、アパート・マンションは「ペットお断り!」なんてぇフザけた慣習が当然の如く罷り通ったりしないんだろうな。
しかしペットを飼うことについて、NYのアパートが実に鷹揚であるという話。こいつも最近ではだんだんと昔話になりつつあるらしい。「**ポンド以上のペットお断り」乃至「ペット同居の場合は割増家賃」というケースが増えつつあるのだ。残念だね。ちなみにうちのアパートなんぞでももペットを飼うことについては、色々と申請書類があるそうだ。仲の良い黒人のドアマンに聞いてみた。

「このアパートで犬を飼うには、先ず書類を書く忍耐とお金が必要だ。」と彼はウインクしながら言った。「俺の住んでるアパートじゃ、そんなこと無いよ。」
彼の住む街は、ハーレムの西の外れ、ハミルトン・ハイツである。
「いいなあ、うちもワイフが納得すればね、ハミルトン・ハイツに引っ越ししたい。」
僕がそう言うと、彼は大笑いをした。
「でも、嫁さんとペットを同時に面倒見るのは、相当骨折るぜ。どっちも機嫌をとるだけで一日が終わってしまう生き物だ。」
そうかもしれない。それでも今のところ、ペットを飼うニューヨーカーは相変わらず多い。僕のパートナーとしてプログラムを書いているケヴィンも、そんなニューヨーカーの一人だ。もっとも彼の場合、犬を飼いはじめた動機はそれほど博愛精神として美談のごとく語れるものではない。

ケヴィンは東欧ユダヤ系の30代半ばの男である。仕事はC言語をベースにしたフリーのプログラマー。かなり良い仕事をするので、それなりに収入もある、いわゆる「独身貴族」である。彼はアッパーウエストサイドのアパートに暮らしている。もちろん本人に言わせれば「決して好き好んで独身貴族をやっているわけではない」んだそうだ。結婚願望はそれなりにあるらしいのだが、どうも上手くいかないんだそうだ。
フリーのプログラマーというのはアメリカにおいても、いわば「恒久的な失業者」と同意語だし、その就労時間の不規則性は我等ライター業に肩を並べるほど無茶苦茶である。
素敵なブロンド娘からようやく週末にデートの約束をとりつけても、急ぎで飛び込みの仕事が入ってくれば、いとも簡単にその甘い夢は打ち砕かれてしまう。
「クライアントは悪意を持っているとしか思えないほどのタイミングで、高給を以って僕の恋路へ足を突っ込んでくるんだ。君を含めてね。いつでも実に良いタイミングで、やっかいな仕事を回してくれる。誰か常時僕を見張っていて、僕がデートの約束を取り付けると、それを全員に回覧してるんじゃないかと思えるくらいなんだ。」ヴィレッジの馴染みのバーのカウンターで、ケヴィンが僕にそう漏らしたことがある。
「そんな仕事。週末は予定が入ってます、って断ちまえば良いんだ。」
「そう言えるほど押しが強ければ、今だに独身のままでなんかいないよ。第一、たとえばそんなこと君に言ったら、君は電話の向こうで頭から湯気出して怒るぜ。」
「そりゃそうだ。」
ケヴィンは、気の弱い笑顔を僕に向けた。
そんなケヴィンが大きなゴールデン・レトリバーを飼うようになったは、チケット・エージェンシーで働いている赤毛の女と突然同棲し始めたからだった。「彼女が大きな犬を飼いたいとせがんでね。大きなアパートに大きな犬が一番似合うだってさ。」と、ある夜いつものバーでケヴィンが嬉々と語った。以後、セントラル・パークで光るような輝く毛並みのゴールデン・レッドリバーを連れて散歩するケヴィンを仲間たちは見かけるよう
になったが、結局のところ誰も一度としてその赤毛の女には出会わなかった。赤毛の女は、やってきた時と同じように突然ケヴィンの許から去ってしまったのだ。
「僕は、東洋の伝統芸能と同じくらいつまらないそうだ。いかにもチケット・エージェンシーらしい、まっとうな意見だなって思ったよ。」ケヴィンは寂しく笑いながら言った。彼の手元には、ゴールデン・レトリバーと傷心だけが残った。そしていつの間にかそのゴールデン・レトリバーについて語るのは、仲間うちでタブーになってしまった。

半年ほど経ったある日。僕の仕事を手伝ってくれている最中に、ケヴィンが唐突に言いだした。
「マイク、ドックランって知ってるかい?」
「ああ。あのワシントン公園にあるアレだろ。」
「うん。行ったことあるかい?」
「残念ながら、うちのペット2匹は(当家のムスメどものこと)スカートを穿いてチョコマカしてるだけで、どっちかってぇとドッグラン向きではないんだ。行ったことはない。」
ドッグランは犬たちのための公園である。大体は柵で囲まれた剥き出しの土の広場で、周辺に飼い主たちのベンチが並んでいる以外は何もない。犬たちはここで鎖を外されて自由に飛び回ることが出来るのだ。ワシントン公園にあるもの、アメリカ自然史博物館の横にあるもの、トンプキンス・スクエアにあるものなどが有名だ。
「最近、うちの巨大毛玉を連れてアメリカ自然史博物館の横にあるのドッグランへ行くんだけど、そこで黒いレトリバーによく出会うんだ。見事なもンだよ。」
「黒いゴールデン・レトリバー?」
「いや。黒いからね、ゴールデン・レトリバーとは言わない。」
話を聞いているうちに、見事なのはどうもそのレトリバーの方ではなくて、飼い主の女性の方らしいことが分かった。
「ブルネットでね。背が僕より2インチくらい高いんだけど。これが美人なんだ。」
「デートは?」
「うん。二人と犬二匹で、よくコロンバス・アベニューのカフェへ出かける。彼女は会計事務所で働いていてね、物静かな聡明な人だよ。」
「その黒いレトリバーのほうはどうなんだい?もの静かで聡明で、会計事務所で働いているのかい?」僕は思わずチャチャを入れてしまった。
「ははは。別に数字に強いようには見えないけど、飼い主に似て素直で良い娘だ。もちろん、うちの巨大毛玉とも仲良くやってるよ。」
数週間後、何回かの犬付きデートのあと、ようやく二人だけで出かけるようになったらしい。眼を刮るほど明るくなったケヴィンは、その頃から彼女のことを誰かまわず喋り歩いていた。
「彼女は気をつかってローヒールしか履かないんだ。背の高い女性は、それだけで結婚についてハンディがあるとこぼしていたよ。でも、そんなもの関係ないと僕は思う。すごく知的でチャーミングな人だもの。」

ケヴィンがそのブルネットと肩を並べて犬とともに散歩する姿を、何人もの仲間たちが目撃した。「ニュー・トランプタワーみたいな女だ」と辛辣な意見をいう奴もいたが、概ね仲間うちの評判は良かった。たまたま僕がサイドウォーカーで出会った彼女も、きわめて好印象で聡明な感じの女性で、僕も大いに気に入った。偶然に僕と鉢合わせしてしまったケヴィンのほうが、悪戯の最中に見つかってしまった子供のように終始ドギマギとしていて可笑かった。これは上手くいくかもしれないな。僕はそう思った。

ところが数カ月後のある雨の日の午後。突然、うって変わったえらい暗い様子でケヴィンが僕の事務所に現れたのだ。僕はピン!ときたが敢えて黙っていた。夕方、スタッフが暫時帰宅して僕と二人きりになると、ケヴィンは自分から重い口を開いた。
「来月には彼女、勤めている会計事務所が変わるんだって。新しい事務所はスタッテン島にあるんだそうだ。だから彼女もスタッテン島に今月末には引っ越しするそうなんだ。もうドッグランで会えなくなる。」
「スタッテン島かあ。犬を飼うには良いかもな。」
僕がそう言うと、ケヴィンは肩を落として頷いた。
「うん、僕もそう思う。」
「あとは通信事情だな。それさえ問題なければ、仕事には影響ない。マシンのサポートも、あのくらいの距離なら来てくれるだろうし。とりあえずフェリーは24時間走っているからな。俺と一緒に飲んだくれても、あらまぁ帰れない!なんてぇことないだろ?」と僕はさりげなく言ってみた。
ケヴィンは少しの間、僕の言ったことの意味が判らなかった。しかし、はっと気がつくと顔じゅうを笑みにして言った。
「そうだね!問題は通信事情だね。」
彼女がスタッテン島へ越した翌日。ケヴィンも彼女のアパートのすぐ近くへ引っ越しを果たした。そしてその日の夕方、転居の報告をするためにケヴィンは連絡もせずに、大きなバラの花束を持って彼女を訪ねた。彼女はびっくりすると共に、本当に大喜びをしたそうだ。
「彼女の部屋のソファに寝ていたのが黒いレトリバーだけで良かったな。もし、毛むくじゃらの二本足が寝ていたらどうするつもりだった?」と僕が言っても、幸福の絶頂にあるケヴィンは、ただただ笑うだけである。

この恋がどうなるか。今のところ、結論は出ていない。ただ、毎日彼女と仲良く肩を並べて犬を散歩させているという話は、彼の口から聞いている。
ドッグランのいらない街に幸いあれ!

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