45丁目の東の外れにあるオートバイ屋で時折顔を合わせるアランは、NYのチャイナタウンで生まれた30歳になったばかりの生粋のニューヨーカーである。彼はホンダの往年の名車VF1000Rのオーナーだった。実は、僕も同じ機種のロスマンズ・カラーを東京で乗っている。その話を彼にするとアランは顔中を笑みにして言った。
「ジュニア・ハイスクールの頃、キャナル・ストリートでこのマシンを見かけたんです。その時に、大きくなったら絶対に乗ろうと思ったんです。レースでは大した記録を残せなかったけれど、間違いなく最後の美しいオートバイですよ。」
「でもNYの冬はバイク乗りには厳しいよなあ。」と僕が言うと、アランは笑いながら答えた。
「いいんですよ。乗れない時期は一所懸命磨くんです。パーツの一つ一つまで、丁寧に磨き込むんですよ。」
アランはマンハッタン・ブリッジのすぐ傍らに暮らしている。縫製工場のあと取りである。ある初夏の夜、イースト・ヴィレッジの「ヤフェ・カフェ」でビールを飲みながらチャイナタウンのこと、チャイニーズ系アメリカ人のことなど、色々な話をした。彼から聞くチャイナタウンの話は新鮮だった。
「うちはもともとクリーニング屋だったんです。幼かった頃の思い出と言えば、天井から無数にぶる下げられた洗濯物ばかりですよ。そいつらがまるでノシかかるような感じでいつも私の頭の上にあった。私が知っているその頃のオヤジは、朝から晩までプレスをかけていたし、オフクロもコマネズミのように働いていた。あの頃のオヤジ。働いているところ以外、見たことなかったなぁ。オフクロはいつも不機嫌だったし。」
「今と、同じ所に住んでいたの?」
「いえ。もっとロアー・イーストサイドのディヴィジョン・ストリートに居ました。こっちへ越したのは、オヤジが突然、縫製工場をやる!と言いだしてからです。」
「突然、言いだしたの?」
「はい。そのことでオフクロと大喧嘩をしていたのを憶えている。でも、今考えるとオヤジの判断は正しかったわけです。」
「アランが幾つだった頃?」
「まだパブリック・スクールに行くようになって、すぐの頃だったと思う。引っ越しの日は学校を休んで家族全員で今のところへ移った。始めて工場を見たときはミシンがずらりと並んでいて、綺麗だなと思いましたよ。天井から覆い被さるようにぶる下がる消毒臭い洗濯物より、はるかにましだった。でも、オフクロはぐずぐず泣いていましたね。」
「商売を替えるのが嫌だった?」
「それよりも、オヤジが勝手にアメリカ人から借金したことが原因だったんじゃなかったかなあ。後から知ったんだけれど、当時、アメリカ人の衣料メーカーはチャイニーズが彼らの為の下請けの工場を出したいというと本当に簡単に設営資金を貸し付けてくれたそうなんです。オヤジの友人にも、そうやって思い切り転身を図った人たちが何人かいて、オヤジはそれを見て洗濯屋に見切りを付けようという気になったらしい。」
「しかし、大決心だったろうね。」
「オヤジとオフクロは福建省の出身でしてね。オヤジはもともと船乗りだったそうで。第2次世界大戦終了直後に香港からアメリカへ渡ってきた少数派だったんです。だから凄い苦労した。今でもそう言いますよ。この街は広東人のための街だったって。チャイナタウンは相互扶養の強力な絆の街だと思われているけれど、けっこうそうでもない。」
「そうなの?」
「はい、今でもね。うちで働いている女性は皆チャイニーズでしょう?大半のチャイニーズのオーナーはチャイニーズしか雇わない。だから大抵何処もうちみたいにチャイニーズばかりの工場になってしまうんだけど、だからといってこれを同胞意識が強いからそうしているんだというのは、少しきれいごと過ぎると僕は思うな。」
「難しそうな問題だね。」
「うちで働く移民してきたばかりの女性は、大抵子連れの若い夫婦の片割れです。共稼ぎじゃないと暮らせないからうちで働く。うちで働いていると英語が碌に話せなくてもやっていけちゃうから結局いつまでたっても英語を憶えない。アメリカ国民になろうと決心してNYへ渡ってきていながら、周囲はチャイニーズばかりで広東語で暮らせちゃうから、何時まで経っても英語が話せないままになってしまう。亭主のほうも同じでチャイニーズのところで働くようになるから、結局のところコミュニティの中に縛りつけられてしまう。チャイナタウンの特殊性は、このへんにあります。結果、チャイナタウンの外側にあるアメリカ社会から徹底的に孤立してしまうんです。」
「それは、日本人コミュニティでも有る問題だよ。もっとも日本人の場合、その問題を抱えているのは殆ど海外赴任者と呼ばれる連中だけどね。質的な違いはあるけれど、結局は同じような問題だな。
ところで。子供
時代の遊び場所というと、やっぱり近所?」
「いつも近くの路地裏を駆け回ってましたよ。バクチクをいたずらしたり、無人の廃ビルの中で追いかけっこしたり。あのへんは売春婦も多かったから、そんなお姉さんをからかったりしてね。」
「チャイニーズ系の売春婦?」
「ええ、チャイニーズはチャイニーズしか買わないから。それに単身で移民してくる男も多いし、需要はいつまでたっても断れることなくある。それにやっぱりNYのチャイナタウンの特殊性もあって安価な私娼は生まれてくるんだと思う。」
「NYのチャイナタウンの特殊性?」
「NYのチャイナタウンは一番簡便な働き口が見つけられる街なんです。この街で仕事を探すには資格も経歴もいらないんです。読み書きが出来なくたって仕事は見つけられるんです。」
「単純労働ということ?」
「はい。肉体労働ということです。それなりのスキルを持っているチャイニーズは西海岸に住みたがる傾向があります。」
「どうして?」
「西海岸はあらゆる面でコミュニティがしっかりしていますからね。能力を要求される仕事ならばなおさら安定を求めるでしょう?だからどうしても西側を向かずにはいられないんですよ。アメリカにおけるチャイニーズの失業率は、総体として東高西低ですが、スキルの高い仕事だけを抽出すれば完全に西高東低に反転すると僕は思いますよ。」
「それは伝統的に?」
「それは・・・ウーン、どうなのかなぁ。分からない。」
「アランの少年時代というとベトナム戦争が終わった直後あたりかな?」
「そうですね、時期的にはそのあたりになるかな。NYのチャイナタウンが大きく成長しはじめた時期ですよ。」
「チャイナタウンは変わった?」
「うん。でも、僕は変わってしまったチャイナタウンしか知らないから(笑)詳しいことは言えないけど。でも目の前で、どんどんと巨大化していく様子は実感で感じていましたね。うちの工場も日に日に拡張していったし。オヤジもオフクロも普通に笑顔を見せるようになっている。」
「一番大きな変化は何だろう?」
「豊かになった(笑)全員が、というわけではないけれど多くの人々が豊かになった。おかげで僕もバイクに乗ってるし(笑)きっとオヤジの世代には考えられなかったことじゃないかな。だから僕がバイクを磨いていると、露骨に苦々しい顔する。贅沢品に淫してるって。本気でそう思っているんです。」
「でも、それはオヤジさんの言うとおりかも知れない(笑)」
アランは、いかにもニューヨーカーらしいアイロニーな視線を持ちながらも、その芯は明るい屈託のない性格の男である。彼の父親の工場が彼の経営に代替わりした時、彼とこの街はどう変わっているのだろうか?僕はアランと話しながら、そのことを考えられずにはいられなかった。そして彼が再三使用した「アメリカ人から借金したこと」という言葉のなかに見られる「アメリカ人」という言葉に、僕は彼のこの国におけるチャイニーズたちのスタンスみたいなものが感じられて、きわめて興味深かった。