雨降りのニューヨークが好きだ。
僕は傘が嫌いで、少しくらいの雨のときは大抵そのまま雨の中を突っ切ってしまうこと にしている。ビルからビルの間。地下鉄の駅からアーケードまで。東京で暮らしていると
意外に直接雨にあたる区間は短くて済んでしまうもんだから、いつの間にかそんな習慣が ついてしまったのかもしれない。
ニューヨークでも、こいつは変わらない。傘無しでウロウロと歩いている。
もちろんニューヨークに梅雨なんてぇものはない。しかし春の終わり4月から5月頃は、天気が不安定なもんだから、街歩きをしているとよく雨にぶつかるのだ。
何しろこの季節は、ケーブルTVで流している天気予報も時間単位で予想がころころと 変わる。ニューヨークの天気予報は比較的信頼度が高くてよく当たるんだけど、この時期だけは例
外で全く信用できなくなる。まあもっとも臨機応変に予想の内容をどんどん変えていって しまうから、当たる確立はそれほど落ちていないのかも知れないけど。
2月乃至3月に卒業旅行でニューヨークへ行かれならば、貴女が雨に遭う確立は割りと少ない。 この時期のエピソードは雨よりもどちらかというと、まだ雪である。夜になると極めて細
かいダイヤモンドダスト/氷片が街なかを音もなく舞う。厳冬がまだまだ続いている時期 である。何しろ緯度的に考えても日本列島で言えば盛岡の北くらいのところにある街だか
らね。長く寒い冬は当たり前な話なのだ。雪深いニューヨークもそれなりに風情はあるんだけど、 観光客にとって歩道に積もる雪は不便この上ない。まさか日本からスノーブーツを持って
ニューヨークへ出かけるわきゃあないし、現地でたった数日のためにスノーブーツを買う気にもな らないし、結局いつもの靴のままグヂュグチュと雪の歩道を歩くことになったりする。
「ニューヨークの思い出は?」 「はい。一日中、靴がグショグショでした。」なんて事になる。
夏休みを利用して行かれる方も雨に遭う確率は低い。鋭い日差しに叩かれることは有っ たとしても雨に打たれるのは、ほんの通り雨程度のものだけだろうと思う。但し、こいつ
が大抵バケツを引っ繰り返したようなドシャ降りで、セントラルパークあたりを歩いてい ると、あの辺りにタムロしている観光馬車の馬のたてがみが雨でふたつに別れていたりし
て、あ本当にそういうことってあるんだなぁなんて妙な関心をしちまったりする。 ニューヨークで驟つく雨に出会うのは、なんといっても5月の連休を利用してニューヨークへ遊びにいく
方たちだ。長く寒い街の冬が、そろそろ終わりへ向かう時期。緑が萌える頃。木枯らしの 並木が青々と眩しく光る季節。優しい恵みの雨がニューヨークにも降るのだ。
「傘無し出歩く奴なんて。そんなのお前だけだよ」って言われそうなんで、あんまり人 には言ったことないんだけど、雨の日に街を見回してみると、ニューヨークでも東京でも傘無しで
足早に歩いている人って、これが思いの外、多い。数寄者は僕だけじゃない。
手前ミソかも知れないけれど、この街に傘は似合わないんじゃないかなぁ?そんな気が してならないんだよ。五番街あたりのブティクが並ぶ大通りを傘もささずにショッピング
のハシゴをするのはちょっとしんどいかも知れないけれど、SoHoあたりだったら傘な んかささずにショッピングするほうが、ちょっとお洒落だと思う。
だから、です。貴女にも是非、よっぽど大雨じゃなかったらそのまま気軽にホテルを出 てみることをお薦めしたい。地下鉄の乗り場までは、おそらく殆ど濡れずにたどり着ける
のではないだろうか?遊びにいった地区でのことは、そこいってから考えましょうや。 ところで。ニューヨークのどんよりと曇った空の下、デコボコの歩道を小走りに雨を避けてビル
の谷間を縫うように歩いていると、黒人のおにいちゃんが腕に沢山の折り畳み傘をぶるさ げて行商をしているを見かける。アレって本当に不思議だ。到底雨なんか降りそうにもな
い天気が一転して大雨になっても、必ず待ってました!とばかりに何処からか出現してく るのだ。
「アーンブレラ!アーンブレラ!」と大きな声を上げて。 ここンとこ、このアーンブレラ!の相場はだいたい5ドル。3段に折り畳める黒い傘で
、ほとんど何処で買っても誰から買っても同じ形状のものを渡される。こいつがすぐに壊 れるのだ。酷いと、買ってすぐさそうとした瞬間に壊れる。そんな時、おにいちゃんをニ
ラむと、肩をすくめてすぐに新しい奴をくれるんだけど、これだって100歩いくうちに は壊れそうな品物。まあ、それでもニューヨーク土産だと思って持って帰りましょ。日本でよく見
かける安物のビニール傘とは大分趣きが違って、なかなか良いもンなんだ。
ちなみに、東京の我が家にもこのニューヨークで間に合わせに買った折り畳み傘が、そのまま他 の荷物に混じって持って帰ってきたおかげで、下駄箱の引き出しの中へ幾つか転がってい
る。しかし、その信頼度は冗談抜きで最低ですな。
「おーい、でかけるぞ。傘どこだ?」と僕が怒鳴って。 「下駄箱の引き出しの中!」と嫁さんが返したときは、彼女が不機嫌なときと相場が決
まっている。一度、頭に来て本当にそいつを持って外へ出たら、開いた瞬間に傘の骨が3 、4本まとめて折れたことがある。こいつは、お客様にはとってもお貸しできるような代
物ではない。
ニューヨークの街って、どういう訳かこうした生活のベースになる品物。傘とかショッピング・ バックとか小さな小物類とか。そういったタグイのものが何故か何処で買っても同一品と
いうケースが多い。
同じようなデザインとか、同じような形状とか、そんなナマやさしいものじゃあなく、 まったくの同一品。どこか、クイーンズかニュージャージーあたりで、それ専用に製造し
ているメーカーが有って、商品アイテム毎によってきちんと商売上の棲み分けしてるんじ ゃないかと思えるほど同じものなのだ。どうしてなんだろうね?以前、すごく気になって
、何人かその手の話に詳しそうなニューヨーク在住の知り合いに聞き回ったことがある。しかし「 ああ、そういや、そうだ」と言われるばかりで、要領の得た答えは知ることが出来なかっ
た。 こうした同一規格品がある種シンボルとなってニューヨークという街全体の雰囲気を形作ってい るように僕は思うね。例えばニューヨークの傘というと、僕はポンと同じものを思い浮かべる。N
Yのショッピングバックというと、やっぱりポンと同じものを思い浮かべるんだ。広げて も肩全部は納まりきれないこの傘をさして、驟つく雨の中を足早に行くビジネスマンを見
ていると、僕は「ああニューヨークに帰ってきたんだな!」と妙な安心をしてしまうのだ。
さて。傘無しで遊ぶ雨のマンハッタンの話。SoHoあたりの話。
地下鉄でSoHoへ出かけるとき、一番便利な駅はC,Eの Spring St. か、急行のA も停車するCanalSt.である。あるいはJ,M,N,R,Z,6のCanal
St. かB,D,F ,QのBroadway-Lafayette St.が良い。「アナ・スイ」とか「MAC」とか、ブロードウ
ェイの西側に固まるブティックが目的だったらSpring St.が一番近くて便利だけど、もし 時間に余裕が有って少し自由にブラブラ歩きたいなぁと思われているんだったら、Canal
St. のほうが断然宜しい。ここはニューヨークチャイナタウンのド真ん中である。タウン・ウォッ チングもショッピングも起点とするには非常に面白い地帯だ。ここからブロードウェイを
北へ昇って行けばよい。
前述の、ニューヨークスタンダードの3段折り畳み傘はこの辺りの店でも売っている。流石チャ イニーズは商売の目端が効くね。雨が降り始めると、さっと店頭に傘が並ぶのだ。もし、
地下鉄を出たときに思ったより雨足が強くなっていたら、この傘を贖いましょう。あるい は、ちょっと大通りを歩いていれば「アーンブレラ!アーンブレラ!」のお兄ちゃんに出
会うから、彼から買ってもよいと思う。ひとつひとつが楽しいニューヨークの思い出になるにちが いない。 ロックフェラーセンターのフラワー・フェスティバルも終わった遅い五月のある日。い
つも午後からペコペコとワープロを叩いているアスター・プレィスのスターバックス・コ ーヒーで窓際の席に座ってボーッとしていたら。突然、黒い雲と共に雨が降りだしたこと
がある。一点俄に掻き曇りってえやつで、かなり強い雨足が道路を叩きはじめた。五月に 大雨は珍しくない。
僕が座っていた窓際の席は丁度目の前が地下鉄の出口だったんで、対岸の火事とばかり に興味深々でコンクリートの階段を駆け上がってくる人々を見ていた。
大抵の人が顔をしかめて階段を駆け上がってくる。すぐ傍にスターバックス・コーヒー があることを知っている人は、そのまま一目散に店内へ駆け込んできた。おかげで急に店
内は騒々しくなると共に、店内は雨の匂いが充満してしまった。大風の日は桶屋が儲かり 、大雨の日はコーヒー屋が儲かるのだ。しかし。じっと見ていると意外にも階段を昇って
くる人の中には悠然とびしょ濡れになりながら歩いている人がわりと居るのだ。あんなに 濡れちゃ、店にも入れないだろうに。やっぱり近所に住んでいる人なのかなぁ。そのまま
、まっすぐ歩いて帰れるところに自宅があるのかなぁ。そんなことを考えてしまった。 確かにオートバイに乗って遊びに出た帰宅途中、俄に降り出した雨は楽しい。
全身濡れネズミになって、パンツまでグショグショになって、それを玄関で全部脱いで そのままフリチンで風呂へ飛び込む。こいつはバイク乗りの知る快感のひとつなんだ。き
っとあれと似たようなことを、彼・彼女は自宅に帰ってからやるのかも知れないね。
仲間だ。僕は嬉しくなってニヤニヤ笑ってしまった。